HOMEDATA『雪の味』書簡にみる俳人地方別一覧≫肥前他

        

 
荒巻杜由: 生没年不詳 江戸中期の俳人 <あらまき とゆう>
 杵築の俳人で、杵築一の豪商佐伯屋の人。京都蝶夢の門人で、蝶夢が粟津に芭蕉庵を作った時、杵築の俳人二十余名が寄付をしているが、その中に見える。妙経寺に墓はあるがくわしい事は不明。

荒巻青容: 1753-1811 江戸中期の俳人 (あらまき せいよう>
 諱は景春。幼名は次吉のち直蔵また政右衛門と改む。青容は俳号である。景則に子供がなかったので養子として佐渡屋を継がせた。同じく蝶夢門の俳人として活躍した人。宝暦3年(1753)11月3日杵築に生まれ、文化8年(1811)4月14日没。59歳。妙経寺に墓がある。

荒巻菊男: 1768-1815 江戸中期の俳人 <あらまき きくお>
 杵築における知名の俳人で、京都の蝶夢の門人である。寛政11年に亡くなった師匠追善の為の文集を増補修正して『五升庵文章』と題して発行した。また小林一茶の『旅しろゐ』に豊後の菊男として俳句がのっている。又三浦梅園の筆になる。『益亭之記』はこの家の事を書いたものである。梅園の著作として有名な玄語・贅語の発行費として為右衛門の名前で、多額の出費をするなど、梅園とも特に親しかったようである。名は雅陣。菊右衛門・為右衛門とも言う。父は景徳(蘭里)。明和5年(1768)8月29日新町の楠屋に生まれ四代目を継ぐ。醤油醸造を家業とし、家を益亭ともいった。文化12年(1815)7月16日没。48歳であった。墓は妙経寺にある。